第8回Chiba Walk「東京都立清澄庭園と運河の街、深川をたずねて」【実施報告】

Posted by on 5月 7, 2024 in 新着情報
第8回Chiba Walk「東京都立清澄庭園と運河の街、深川をたずねて」【実施報告】

4月12日(金)9名でChiba Walkを実施しました。

今回は、初めての試みで、千葉から東京に飛び出し、深川の街を歩きました。

集合駅は、清澄白河駅。駅の周辺は、昭和の香りあふれる商店街や住宅の中に、おしゃれなカフェやセレクト雑貨を扱うお店がところどころに点在する興味深くて楽しい街並みとなっています。

最初に訪れたのは、江東区深川江戸資料館です。この資料館は寺院や商店街の連なる深川資料館通り商店街の中ほどにあります。遅咲きの桜が私たちを歓迎してくれました。

江東区深川江戸資料館は、江戸時代末(天保年間)の深川佐賀町の街並みを実物大で紹介しており、一日の移り変わりが音響・照明などで再現されるほか、お店や長屋に、実際に上がって生活用具などに触れられる「体感型」展示になっています。

階段を下りて、常設展示室に入るとボランティアガイドの方が出迎えてくれ、江戸深川を案内してもらいました。

先ずは八百屋と大店の肥料問屋。八百屋では、当時の江戸の野菜が並べられ、肥料問屋では、肥料、魚油(灯油)を扱った大店としての風格が表現されていました。次に向かったのは、運河沿いの街です。運河では、猪牙船が停泊し、沿岸には船宿が連なっていました。船宿とは、宿泊場所ではなく、飲食や宴会もできる小料理屋のような場所です。三味線も置いてありました。船宿は男性が遊郭に行く前にお酒と食事を楽しんだ場所で、また男女の逢引きにも利用されていたとのことです。

その後、てんぷら屋とそば屋の屋台、看板娘がいる水茶屋のある広場を経て、長屋の街並みに入ります。長屋の一軒一軒に工夫が凝らされており、その家を見れば、住人の生業や経済力がわかりました。また、子どものいる家では、「疱瘡よけ」のお札が張られていました。

江戸資料館を出ると、「深川めし」(「ここで、昼食の弁当を買えばよかったな」との声もあがっていました。)の弁当店を横目に、佃煮店、洋食器店に立ち寄りながら、東京都指定名勝の清澄庭園に向かいました。

清澄庭園では、今度は清澄庭園のボランティアガイドの方が待っていてくれました。

入園する前にまず、清澄庭園の歴史について説明を受けました。明治11年に岩崎彌太郎がこの土地一帯を取得し、社員の慰安や賓客を接待する場所として造園し、明治13年に明治代表する回遊式林泉庭園として完成しました。この庭園のために日本中から取り寄せて配置した名石の数々は素晴らしく、当時の三菱財閥創業者の勢いを偲ぶことができます。その後庭園は、弥之助、久弥に受け継がれ、彼らによって造園は更に進められました。ところが大正12年に関東大震災が起こり、庭園は建物や名木を失ってしまいました。しかしこの庭園は逃げ惑う人々の避難場所となり多くの命を救うことができました。大正13年、岩崎久弥から東京市に寄贈され、名称も「清澄庭園」となり市の公園となりました。

入園すると、いきなり大きな築山の「富士山」、三つの中島を配した広い池の「大泉水」、に数寄屋造りの「涼亭」に目を奪われました。

築山の「富士山」は、他の東京都の庭園と比べても大きさでは最大級の築山です。ここでの観賞方法は庭園にいながら富士を想像するというものです。富士山から持ってこられた溶岩も配置されていました。まさに富士山です。

「大泉水」には少し前まで冬鳥がいたそうですが、今はもういません。留鳥は雨宿りをしていて、その姿を見ることはできませんでした。

次に案内されたのは「大正記念館」です。大正天皇の葬儀殿を移築したものですが、現在あるものは再建されたもので、集会場として一般利用できます。

その後、池に配置された名石の上を歩く、贅沢な「磯渡り」をしました。しかし途中から雨が降り出したために、滑らないように足元に集中しながらの歩行となりました。

最後に大島桜と八重桜が咲き誇る自由広場に行きました。そこで芭蕉の句碑の解説を受けた後、ボランティアガイドの方と、お別れしました。

約一時間の清澄庭園散策でした。ボランティアガイドによるユーモアを交えた解説は分かりやすく、楽しい時間を過ごすことができました。途中から雨が降り出した中でも傘もささずに案内、解説してくれました。

午後は、相撲部屋界隈を通り抜け、芭蕉稲荷を経て、芭蕉庵史跡展望庭園、墨田川テラスへと向かう予定でした。墨田川テラスでは、隅田川の堤防から、重要文化財の清洲橋、東京都のビル街、そしてスカイツリーへと続く大パノラマを見る筈でした。しかし、傘を持たない人も多く、しばらくは雨が続くという予報も踏まえ、清澄庭園で解散することになりました。予定の切り上げは残念でしたが、参加の方から励ましの声をかけてもらい、心温かい気持ちで帰途に着くことができました。

(久保明美  1981文卒 記)

DSC_0473.JPG

DSC_0480.JPG

DSC_0478.JPG